We realize the importance of our voices only when we are silenced.
Malala Yousafzai
(私たちは沈黙させられてから初めて声を上げることの大切さに気づきます)
これは、パキスタン生まれの人権活動家、マララ・ユスフザイさんの言葉です。
彼女は、2014年にノーベル平和賞を受賞し、史上最年少の受賞者になりました。
今日7月12日は、そんな彼女の誕生日、「マララデー」です。
この日は、2013年に国連によって名付けられました。
この特別な日に、マララ・ユスフザイさんについて振り返ってみたいと思います。
マララ・ユスフザイさんの人生
誕生
マララ・ユサフザイは1997年7月12日にパキスタンで生まれました。
彼女の父親は、子どもの教育権を主張する活動家でした。
マララは彼が建てた学校の1つに通い、彼と同じように教育活動家になりました。
マララの人生の転換期

2007年、イスラム教過激派グループであるタリバンが、彼女の学校があったスワットバレーを占領しました。
彼らは男性にひげを生やし、女性にブルカを着させるように強制したうえ、10歳以上の少女の学校への通学を禁止しました。
にもかかわらず、マララさんは彼女は学校に通い続け、「タリバンが私の基本的な教育を受ける権利をどのように奪うのか」という題名の演説でタリバンを非難しました。
タリバンからの襲撃

そして、若干11歳の時、「パキスタンの女子高生の日記」と呼ばれるBBCブログで、彼女の経験を共有しました。
彼女はブログでペンネームを使用していましたが、女の子の権利を主張することで有名になりました。
その後数年で、彼女の父親が創った学校の多くが破壊され、マララさんとその家族は殺害の脅迫を受けることになります。
2012年10月9日、タリバンがスワットバレーのスクールバスに乗り込み、マララさんを3回撃ちました。 そして弾丸の1つが、彼女を直撃したのです…。
マララさんは、パキスタンで治療を受け、手術は成功しましたが、彼女の容態はすぐに悪化。
昏睡状態に陥り、イギリスの病院に移送されました。
不屈の精神
数週間のリハビリの後、マララさんは歩き始め、再び話し始めました。
その後、イギリスの学校にも復帰しました。
銃撃事件後、すっかり有名になったマララさんとその家族のもとには世界中の人々からプレゼントやメッセージが届くようになります。
しかし、パキスタンでは、マララの家族が「西側」を支持しすぎていると多くの人が感じていました。
「西側」については、他の方の記事になってしまいますが、こちらを参考にしてください。
2013年の16歳の誕生日に、マララは国連本部でスピーチで、女の子の権利について

私たちの半分が以上が抑制されているとき、私たち全員が成功することはできない。
と世界に語りました。
しかしパキスタンでは、東西の派閥争いが激しいため、マララさんの話に耳を傾けず、拒絶したり、彼女が撃たれたことがないと主張する人さえいました。
世界に認められる
2013年10月、マララさんは共著「わたしはマララ」を出版し、その翌年にノーベル平和賞を受賞しました。
彼女はそのスピーチで、世界中の小中学生に無料で質の高い教育を保証するよう世界の指導者たちに懇願し、今でも子どもの権利を擁護し続けています。
マララさんの行動から学べること
最初に記載した名言の話にもどりますが、マララさんは、タリバンによって学びを禁止されたからこそ、
声は大にして発信し続けないとダメだ
と気づきました。
彼女は元々まじめな学生で、勉強が好きだったからというのもあると思います。
バネを限界まで縮めていきなり離せば、勢いよく跳んでいきますよね。
しかし、何もしなければそのまま。そういうことです。(笑)
それでも、殺されかけた後さえも自身の主張を曲げずに発信し続けたマララさんは、例外だと思います。
しかし、わたしたちも彼女と同じ経験をすれば、何か行動を起こそうと思えるかもしれません。
誰かから規制されなくても、ことの重要性に気づき、行動できたらいいのですが、たぶん無理です。
あくまでわたしの考えですが、人間所詮はそんなものだということです…。
まとめ
いかがでしたか?
今回は、子どもの権利を主張する活動家としてシンボルになっているマララ・ユスフザイさんの人生を振り返ってみました。
幼少期から自分の考えを主張し続け、ある意味「成功」した彼女をみると、

なぜ自分はこんなに平凡なんだ…。
と思ってしまう人も多いかもしれませんね。
まぎれもなくわたしもその一人です(笑)
しかし、やはり他人は気にせず、自分の気持ちに素直になることが一番大切なのではないかと、マララさんの人生を学んで思いました。
彼女も、まさか幼少期に成功した誰かのことをうらやんでその人に倣ったわけでは決してないでしょう。
こうして偉大な人の人生を知ってしまった以上、そのことは心の片隅には残ってしまうかもしれませんが、それをどこまでうまく無視できるかというか、
教訓とみなして自分の心に素直になれるかどうかが、成功のカギなのかもしれませんね。
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