こんにちは!
ヒューストン在住大学生のはるメロンです。
今日は、ESLメンバーとのミーティングで「安楽死」についてディスカッションしました。
皆出身国や宗教が異なるだけあって、違う考えを持っていたのでとても興味深かったです。
そこで今回は、現役大学生かつキリスト教の考え方に賛同する私の安楽死への考え方をここに記録したいと思います。
テーマ:安楽死 予習
ここでは、学習前に安楽死について自分が知っていたことや、インターネットで調べて分かったこと、思うことを記録します。
1. どのような状況の人が自殺ほう助を必要とするか
私は、以下の2種類の人が安楽死を望むのではないかと思います。
- ひとりでは身体を動かすことができない人
- この世よりあの世の方が良い世界だと思っている人
ひとりでは身体を動かすことができない人
ひとりでは身体を動かせない人=他人の力を借りないと生きられない人
です。
こういう人たちは、
他人に頼りきりの生活しか送れない自分に対する情けなさと、
迷惑をかけるであろう他人への申し訳なさ
のダブルパンチで死にたくなってしまうと考えました。
しかし、この場合の「他人の力を借りる」とは、物理的な意味だけを指します。
私もそうですが、人間、健康なら物理的にはひとりで生きていけるかもしれませんが、精神的には到底無理だと思います。
人は毎日、誰かと話したり、励まし励まされたりして、互いに愛を与え合うからこそ生きられていると思います。
また、愛などは感じていなくて、主に承認欲求を満たしながら生きている人たちに関しては、
基本的に自分が好きではない人が多いと思うので、もしそんな自分を「承認」してくれる人がいなくなると、自分で自分を承認しないと生きていけないことになりますね。
自分のことが嫌いな人にそんなことは到底無理なので、死にたくなってしまうのではないかと思います。
何が言いたいのかというと、人はみな他人の力を借りて、支えあいながら生きているのです。
病気だとかそうでないとか、関係なく。
ひとりでは身体を動かせない人も、生きているだけで、家族や友人の心の支えになっているはずです。
その体験を、何らかの方法で世に発信することで、誰かのためになるでしょう。
もし、そのどれもが信じられなくなったら、心の中にいる神様の愛を感じてみるべきです。
目に見えないことを信じることは、つらいです。
しかし、この世界の全てを創造してくださった神様は、私たちを愛してくれています。
それは間違いなく、確固たることなのです。
なので、誰かの愛を感じられるうちは、生きてみようというのが、この立場にある人たちに対する今の私の考えです。
この世よりあの世の方が良い世界だと思っている人
こう考えて安楽死を選択する人は、稀なケースかもしれませんね。
なぜならこの世に生きる多くの人は、長生きすること、つまりこの世が一番だと思っているから。
自死を推奨する宗教もないと思います。
しかしもう少し安楽死が世の中に浸透してきたら、こう考えて安楽死を選ぶ人も出てくると思います。
人って体験したことのない世界に対して、悪いイメージをもつことが多いですよね。
しかし、誰もその世界のことを知らないなら、それがいいか悪いかの確率は50%ずつです。
そう考えると、現世に納得のいかない人からすると「あの世が素晴らしいことに賭けたい」と思うのも当然かもしれません。
ーーー
聖書の教えによると、自殺行為は、この世に生を授けてくださった神様の教えに背くことになるため、絶対NGです!!
2. 自分の国で安楽死をした人の例を聞いたことがあるか
今までは安楽死について考えたこともなかったですが、調べてみると、スイスで安楽死の権利を得た女性がいるそうです。
3. 自殺ほう助に賛成するか
私は、無神論者の人に安楽死について相談されたら、自分の意思を尊重して、それ相応の選択をするように言うと思います。
人はみな考え方が違うので、それぞれの考え方に沿ってそれぞれが協力するべきだと思うからです。
なので、賛成か反対かと言われれば賛成です。
神様を信じているからといって、信じていない人にもその考え方を押し付けるのは違うと思うのです。
4. 自分の国には自殺ほう助や安楽死に関する法律があるか
日本の法律では、積極的安楽死は認められていません。
積極的安楽死とは、安楽死するための薬を提供するなど、安楽死を目的として何かをすることです。
しかし、消極的安楽死は認められています。
これは、末期の患者で、痛みなどを伴う延命治療を受けている人に対して治療をやめることです。
5. もし自分が末期の病気になった場合、死ぬことを助けてほしいか
私は、延命治療はしてほしくありません。
両親や友達はそのことを悲しむかもしれませんが、それは私がいつ死んでも変わらないでしょう。
その時期が早まっただけです。
植物状態で、意識もなく、祈ることもできない身体になったら、それまでの自分の行い(お祈りや人に優しくしたこと)を信じて、治療をやめることを選択します。
そうなったら神様も、天国で「今までよく頑張ったね」と言ってくれるんじゃないかな…
テーマ:安楽死 文章
安楽死に関する文章に対して私が思うこと。
1. イギリスで自殺ほう助をした場合の最高刑
イギリスでは、自殺ほう助をした場合、最大で禁錮14年の刑が科されるそうです。
これを読んだ時私は、

14年って中途半端だな
と思いました。
なぜなら、日本で殺人を犯した人は終身刑が当たり前なのだから、その助けをしたならもっと長い刑が科されるべきだと思ったからです。
しかし調べてみると、日本の殺人罪に対する刑は「5年以上の懲役」とのこと。
また、誰かを脅したりして、その人を自殺に追い込んだ場合の犯人の刑は「7年以下の懲役」
この刑は、日本で自殺ほう助をした場合の最も重い罪です。
そう考えると、イギリスでの禁錮14年というのは、かなり長い刑罰だと思いなおされました。
2. イギリスでの安楽死の合法化を求む医者
イギリスの医療倫理学者のハゼル・ビッグ氏は、「医療関係者が患者に対して自殺ほう助をすることを合法化するべきだ」と主張しています。
彼女によると、多くの国ではすでに、その国でまだ安楽死が認められていなくても、医者が患者の自死を助けているらしいです。
これが認められることは、患者の意思を尊重することや、3のような事例にたいしても厳密に対処できるようになると。
これについては、私も賛成です。
時が経つにつれて、より多くの人が生きやすい世の中になっていく。
これこそが、世界が成長することの意味だと思います。
3. 勝手に患者の死を早めている医者もいる
高齢化が進むにつれて、患者の意思を聞かずに安楽死を実行する医者も増えてきているそうです。
例えば、植物状態で話ができない患者に対して、勝手に薬の投与量を規定量より増やすなど。
そういった隠れた職権乱用を減らすためにも、法の制定が必要だという文章です。
私は患者が植物状態の場合、その家族の意思を一番に尊重すべきだと思います。
なので、こういった行動をする医者がいる事には驚きました。
そういう人は、自分が神様にでもなったつもりなのでしょうか。
どんなことがあっても本人や家族の意思なしに、他人が人の生死を決めていいはずがありません。
そういう医者を裁く法律は、すぐにでも制定されるべきだと思います。
4. 宗教問題
ProLife、そして宗教団体は、安楽死を擁護する法律ができることに反対しています。
キリスト教のビショップ(神父より上の偉い人)は言います。

患者を殺したり、その自殺を助けることを認めるような法律が制定されることは、到底許されてはならない。たとえそれが末期の患者に限定されるとしても。
わたしは、キリスト教の偉い人が信者に対してこうした教えを説くことはいいと思います。
でも、キリスト教以外の人にも同じことを主張するのは少しお門違いな気がしてしまいます。
キリスト教には、悪魔を退けなければならないという教えがあります。
悪魔とは、悪い誘惑のことで、「人を傷つけたい」「犯罪を犯したい」などの感情のことです。
安楽死を望むことは、悪魔の誘惑に当たるかどうかは、個人の考え方によると思いますが、私は当たると思います。
だからこそ、安楽死を望む相手がキリスト教徒なら、悪魔の誘惑に勝てるように全力で説得します。
おまけ 安楽死に関する英単語
- euthanasia:安楽死
- credible:信頼できる
- terminal:末期の
- suicide:自殺
- conscious:意識のある
- concent:同意
- abuse:乱用
まとめ
今回は、ただの大学生のわたしが安楽死について思うことについて書いてみました。
キリスト教に完全に染まってはいなくて、表面的な教えを理解している程度の今の考え方をこうして書き残しておくのは、後々意味を成すのではないかと思ったのです。
キリスト教の考えに、今までの自分の考えが抹消されてしまうのは、少し怖いです…。
しかし、信じると決めたからには、神様に忠実に生きてみようと思います。
- 無神論者に対して→自分の意思を尊重して、それ相応の選択をするべき
- キリスト教徒に対して→やめた方が良い…というか絶対ダメ!
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